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電脳網千句第8 賦何垣百韻 2折表 2018.1.7~

okutamamidori.jpg


  おどろおどろ陸奥のねぷたの浮かび出で      歳
   などて真直に狐花生ふ                香
  人住まぬ家に佇めば鶉なく              梯
   野分のあとのひとすぢの雲             舎
  かははらに流れしものを見てゐたり        風
   ただ朽ちぬるも定めなるらむ            衣
  されどわが胸に寄りくる子のありて         花
   まなこの映す小さきまことに            姫
  星屑の陸に墜ちつつ空を恋ひ           月 
   はるけくしのぶ隼の旅               草
  山守の足どり残す霜の道             香
   薪あたまになに語り行く             歳
  月の舟ほのかに傾ぐ夕まぐれ           舎
   荻のささやく野は末枯れて            梯
    
  

   



  

    <<進行表はこちら>>

 






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コメント 57

連歌楽歳

1折裏から引っ越し。

めくるめく眩さ去りて闇の底
 おどろおどろ陸奥のねぷたの浮かび出で
 かぜの神いかづちの神みぎひだり


 めくるめく眩さ去りて闇の底
雑 闇は非夜分

 おどろおどろ陸奥のねぷたの浮かび出で
秋 ねぷたは秋の行事 国郡 

 かぜの神いかづちの神みぎひだり
雑 風神・雷神は非神祇(ヴェーダに出てくるヴァーユとインドラ) 風は吹物 いかづちは雑(『産衣』)

by 連歌楽歳 (2018-03-18 20:14)
by 連歌楽歳 (2018-03-18 23:24) 

連歌楽歳

失礼しました。秋の季語を入れ忘れていました

めくるめく眩さ去りて闇の底        楽歳
   ↓
めくるめく稲妻去りて闇の奥
秋 稲妻(光物)

 かぜの神いかづちの神みぎひだり
    ↓
 かぜの神いかづちの神かり渡る
秋 雁は2句物(春と秋、渡るで秋)

by 連歌楽歳 (2018-03-18 23:27) 

連歌楽歳

打越に光物(月)が出ているのを失念していました。再度修正いたします。

 めくるめく稲妻去りて闇の奥
    ↓
 しばらくは眼の底の龍田姫
秋 龍田姫は非人倫 まなこは人体  

by 連歌楽歳 (2018-03-19 00:00) 

連歌楽歳

風神・雷神は連歌では神祇に該当しないという話。『去来抄』に出てくるエピソード。芭蕉が最後の旅に出発するにあたって開かれた歓送の連句の会で、子珊が詠んだ「取分て今年は晴ル盆の月」に、「盆」を釈教ではないというのはおかしいと嵐雪が避難したところ、芭蕉が「正月は神祇なるか」と反論した。去来はこれについて「盆」を使えばやっぱり釈教だよね、感想を書いています。

風神も雷神も出自は『リグ・ヴェーダ』のヴァーユとインドラ。仏教に取り入れられて、中国で地元の信仰と混交したのち、日本の密教(天台・真言)がインドラは「帝釈天」にヴァーユは「風天」として招日しました。

浅草寺の雷門に据えてあるのが帝釈天と風天で、門の巨大な提灯の一方には「雷門」もう一方に「風雷神門」と書かれています。浅草寺は戦後、天台宗から離れて新宗派「聖観音宗」を名乗っていますが、地元では「無宗派」と言われています。帝釈天・風天と表記すれば釈教ととる人とそうでない人に別れるでしょうが、風神雷神のままではまず釈教には入らないと思われます。

神道の骨格が定まる以前の自然信仰から由来した神を、連歌で神祇とできそうなものもあり、できそうにないものもあります。「竈の神」や「水の神」など判定に苦慮しますよね。神祇なのか、習俗なのか、と。

いずれにせよ、風神・雷神は字音なので連歌では使えません。「風の神」なら字訓ですが、連歌データベースには「かぜのかみ」の使用例がありませんでした。


by 連歌楽歳 (2018-03-19 19:49) 

連歌楽歳

如月さまのご質問に、答え忘れた事柄がありました。

「連歌のテーマに戻りますと、風神・雷神は神祇ではないということですが、アニミズム的な八百万の神様の一つと思っていましたので驚きました。起源は外国だとしても、日本化されていると考えることはできないのですか?では、どういう分類名になるのでしょう? 連句では、キリスト教を始め外国の神さま関係は「宗教」という括りになっているようですが、現代の連歌でも同様と考えてよろしいのでしょうか」

風神・雷神は釈教に入れにくく、連歌では過去に使用例がないので、連歌で使われる用語ではなかったことは先にお答えしました。では、現代の連歌ではどのような分類に括られるか。ありていに申しあげれば、連歌は後鳥羽院や定家の時代に始まり、良基以降紹巴のころまで盛んでしたが、俳諧流行に押されて江戸時代以降、衰退しました。伊地知鉄男『連歌の世界』や木藤才蔵『連歌史論考』の記述は紹巴の時代で終わっています。

元禄時代には連歌作法書『産衣』が書かれ、現代になっては山田孝雄『連歌概説』が1937年に出版されました。しかし、江戸時代から明治・大正・昭和の連歌作品集で活字化されものは見たことがありません。連歌研究といえば中心は室町時代です。山田孝雄博士の父は富山のある神社の神職で、代々富山藩の連歌指南をつとめていたそうです。父親から連歌の手ほどきを受けて育った山田博士を「最後の連歌師」と呼ぶ人もいます。

連歌はすでに化石なった詩歌です。我々が「連歌練習帖」でやっていることは、連歌の模写です。ときどき新しい眺めを入れようと悪あがきをしてはいますが。

風神・雷神を宗教でくくるというアイディアですが、連歌の分類には「宗教」という項目がありませんでした。一条兼良『連珠合璧集』に、「雑類」という分類項目があって、「棹姫」「龍田姫」「山姫」「鬼」「鬼神」「天羽衣」などが収められていますので、風の神・雷の神を入れるとすれば、まあ、このあたりでしょうか。


by 連歌楽歳 (2018-03-20 23:15) 

遊香

楽歳様

ご教授、ありがとうございます。
神祇か、習俗か…。八百万の神がおわすこの国のDNAみたいなものが、現代人の自分にも組み込まれているところがあり、おもしろいなぁと感じております。

かぜの神いかづちの神…に惹かれ、屏風画や三十三間堂にも想いを馳せましたが、今回は、

楽歳様の
おどろおどろ陸奥のねぷたの浮かび出で
いただきました。


宿を囲みし穂すすきの波   遊香
太鼓打つ手に取り入れの秋
秋の便りや太鼓とどろく
ぞめきて憂きをしばし忘れぬ
 ぞめきは「十七季」の秋にありましたが、無理でしたら取り下げます。
などて真直(まなほ)に生(お)ふ狐花
 国会中継を見ての連想です。

風神・雷神について、コメントが続くかと思いましたが、午後から東京を離れますので、この辺で投稿いたします。
お手直し、どうぞよろしくお願いいたします。


by 遊香 (2018-03-21 10:25) 

如月

宗匠さま (皆さま)
風の神、雷の神につきまして、詳しいご説明ご教示を有難うございました。

なかなか複雑な内容で、難しかったです。今でも全体把握が出来ていないようには思うのですが、部分的には大変クリアになってきました。
ヒンズーの雷神・風神が帝釈天・風天となり、仏法護持の戦う神様になっていたとは。

雷門は風神雷神門だったのですか!
もう一つ我々に親しい例を挙げれば、柴又の帝釈さまは雷神だったのですね!
そこを故郷としつつ各地を放浪するフーテンの寅さんは、瘋癲なのか風天なのか……。
単に風来坊ということなのでしょうが、帝釈さまとセットになった風天さんとみなしたくなります。

ところで、「現代連歌」というのは語義矛盾のようなものであり、私たちが教えていただきながら巻いている連歌は、「滅びてしまって今は亡き連歌」の模擬物であるとのご説明、今更こんなことを申しては呆れられるかと思いますが、成程!と、あらためて納得出来ました。

雷の神・風の神は、釈教でもなく神祇でもなく、雜の分類になるということは、連歌の伝統においてはそうなっている、というふうに理解することにいたします。

いつもご面倒をお掛けして恐縮に存じます。
ご教示にあらためてお礼申し上げます。




by 如月 (2018-03-21 11:16) 

千草

如月様
横合いから、ごめんください。
風神のことで、子供の頃読んだフランスの童話の翻訳のことを思い出し
お嫁に来る時持ってきた古い本を引っ張り出しました。
P.ミュッセの「風の神と雨の神」です。
その後、大学でフランス文学史を聴講して、A.ミュッセの兄弟だと知りました。
子供用の本でしたが、あとがきに訳者は、仮に神と訳したが
原題は(カタカナでおそれいります)
「ムッシュールヴァン エ マダムプリュイ」で
、風氏と雨夫人という意味なのだと書いてあり、
このカタカナの長い題は
子供心にたいへん魅力的で、
空で言えるまでなんども繰り返したなつかしい「おまじない」でございました。
この場合はたしかに神祇ではないということでしょうか。

連歌は、連歌としてれんめんと生きており
謙虚に勉強できればと願っております。


by 千草 (2018-03-21 15:45) 

千草

あら、
マダムラプリュイですね。
あんなに一生懸命覚えましたのに。。。
失礼いたしました。
by 千草 (2018-03-21 15:53) 

連歌楽歳

 宿を囲みし穂すすきの波   遊香
秋 穂すすきは草類 宿は居所

 太鼓打つ手に取り入れの秋
秋 太鼓(たいこ)は字音なので「おおつづみ」とよみ、

 太鼓(おおつづみ)打つ取り入れの秋

収穫祭です。

 秋の便りや太鼓とどろく

こちらも、

 秋の便りや太鼓(おおつづみ)聞く

盆踊りか、収穫祭のまえぶれ。
 
 ぞめきて憂きをしばし忘れぬ
 (ぞめきは「十七季」の秋にありましたが、無理でしたら取り下げます)

「ぞめき」を古語辞典、歳時記であたりましたが、おっしゃる通り秋の季語として使うのは無理なようです。「踊り」に変え、ついでに「憂き」を「憂さ」に、「忘れぬ」の完了を「忘れむ」の意志にしましょう。

 踊りて憂さをしばし忘れむ

 などて真直(まなほ)に生(お)ふ狐花
秋 狐花は俳諧秋の季語「曼珠沙華」の連歌むきの言いかえ、草類 「生ふ」の連体形は「生ふる」なので、

 などて真直(まなほ)に狐花生(お)ふ

 ◇
なお、治定していただいた句の「ねぷた」は現代俳句の秋の季語(行事)です。幕末の『俳諧歳時記栞草』にも見当たりません。現代俳句の季語の連句転用ということでお許しください。また。「ねぷた・ねぶた」を『図説俳諧大歳時記』は「佞武多」と漢字を使っていますが、中国由来の言葉ではなく、当て字なので字音にはあたりません。さらに、「ねぷ(ぶ)た祭り」の最終日は大型ねぷたが日中に行進しますが、それ以外は夜の行進です。1折裏13が月で夜分、同14が灯で夜分です、さらに「ねぷた」で夜の気分が重なりますが、

 したふこそいやはかなけれ夜半の夢   宗祇
 うらむればとて明ぬ空かは       紹永
 月かすむ潮干のたつの打侘て      宗祇
                (美濃千句第1)

の夜分3句の例がありますので、ご容赦ください。加えて1折裏8の「枕」と同13の「月」が中4句で、『連歌新式』の夜分5句去りの規則にふれますが、これも、

 月よ夕を人につけこせ      宗祇
 秋になほ草の庵は住侘ぬ     紹永
 やまをも又やおもひうかれむ   宗祇
 松かぜの枕なやます野にふして  専順
                  (美濃千句第1)

の中2句の例があるので、あわせてご容赦ねがいます。   
 
あらためて2折表2付け

 宿を囲みし穂すすきの波      遊香
 太鼓(おおつづみ)打つ取り入れの秋
 秋の便りや太鼓(おおつづみ)聞く
 踊りて憂さをしばし忘れむ
 などて真直(まなほ)に狐花生(お)ふ

遊香さま、お出かけとのことで、このまま通します。



by 連歌楽歳 (2018-03-21 17:19) 

連歌楽歳

ところで――。

仏法の守護神である十二天(梵天・帝釈天・毘沙門天・風天など)や四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)は字音なので連歌の素材として不適です。したがって昔の連歌師たちはそれらが釈教の語なのか、神祇の語なのか、判断する必要に迫られることはなかったでしょう。

俳諧の場合、これらを釈教に入れるかどうか、それは俳諧をもっぱらとされる方々の判断次第です。みたところ、四天王は曼荼羅図にも登場しますので釈教という説もあたりです。毘沙門天や大黒天は七福神のメンバーであり、十二天のうちの焔魔天は閻魔のことで、これらは習俗であるという判断も妥当でしょう。新しい歳時記は「盂蘭盆会」を習俗として扱っていますが、戦前の歳時記には宗教としているものもあります。新しい歳時記では「念仏踊」さえ習俗です。線引きが難しいですね。

このあたりの分類を本気で考え始めると疲れます。そのうち、ヒンドゥーの神様ヴィシュヌ神は無数の化身を持ち、釈迦もその一つと言われているので、インドの人に言わせると、日本仏教はヒンドゥーの亜流ということに行きつかもしれません。冗談です。


by 連歌楽歳 (2018-03-21 22:50) 

連歌楽歳

訂正

太鼓(おおつづみ)は
大鼓(おおつづみ)のあやまりでした。
by 連歌楽歳 (2018-03-22 11:33) 

如月

宗匠さま
更なるご説明、有難うございました。

ところで、前のタイトル写真は三叉の花でしたか?
見た覚えがある花なのですが、山シュユだったか、ミツマタだったか、或いは別の花なのか………わからなくなってしまいました。
その前の写真はたしか、蕗の薹でしたね。ほんとに可愛らしかったです。

そして今度は、ほぼ満開の桜の大木!
場所によって、また樹によっては、ここまで咲き進んでいる桜もあるのですね。
我が家のほうの名所(飛鳥山、石神井川堤、近くの小公園等)は、いよいよこれからが見頃です。土曜・日曜は、大変な人出になるでしょう。


千草さま、
ポール・ド・ミュッセの素敵なファンタジーの思い出、興味深く拝読させていただきました。

ジョルジュ・サンドとの「ヴェネチアの恋」で有名な、早熟で早逝の天才詩人・劇作家アルフレッド・ド・ミュッセのお兄さんという「肩書き」で知られていたポールは、彼自身作家でしたが、作品そのものに注目されるよりは、専らその「肩書き」で有名だったようです。
天才・秀才を弟や妹に持った者の悲哀を、イヤというほど味わったことでしょうね。
でも彼は、弟の情事の顛末を書いてヒットさせたり、弟の愛人の一人と後に結婚したり……と、面白いことに弟をチャッカリと「利用」してもいるのですよね。
意地悪くいえば、弟より長生きしたことが、アルフレッドに対する兄ポールの、唯一の優越点と言えるのかもしれません。

実は私はアルフレッド・ド・ミュッセが好きでして、詩や戯曲をかなり読みましたし、芝居も随分観ました。
最近は違うと思いますが、20世紀後半90年代までは、『ロレンザッチョ』や『マリアンヌの気紛れ』などの傑作戯曲は、コメディー・フランセーズやルノー・バロー劇団によって度々上演されたものです。

それに対して、作品を読んだことがなく、名前も殆ど忘れていたポール・ド・ミュッセの名を、何と、この連歌のサイトで目にするとは!思いもよらないことでした。
フランスのサイトを見ても、ポールの作品のうち現在もよく読まれているのは、千草さまが挙げられた作品のみのようです。
(宿題を抱えている今月は無理なのですが、4月に入ったら時間をつくって、原文で私も読んでみたいと思います。)

遥かに時空を隔てて、この極東の地で、連歌という日本の伝統文学に関連して「我が名、我が作品」が語られたことを知ったなら、ポール様は泉下でいかに喜ばれることでしょうか。以て瞑すべし……とは、このことですね。
何だか、お彼岸に相応しい話題になってしまったような・・・。

千草さま、素敵なお話、有難うございました。

皆さま、長々と失礼いたしました。
お花見日和のこの週末、どうぞ楽しくお過ごしくださいますように。
by 如月 (2018-03-24 02:08) 

千草

如月様
昭和29年初版、30年三刷の手元の本はもう変色はげしく
製本もほとんどばらばらの状態ですが、とっておいてよかったです。
ほんの子供時代の思い出でしたが
こんなにお詳しくお書きいただいて
うれしく
涙ぐんでしまいました。
小さい頃の自分ともどもお礼申し上げます。
どうかまたいろいろ教えていただけますように。
ほんとうにありがとうございました。
物語には食事の場面もあるので
ポールさんにお彼岸のぼたもち(好きだとよいのですが)
お供えしておきます。
by 千草 (2018-03-24 12:43) 

連歌楽歳

夢梯さまから封書で2折表2治定、同3付けをいただきました。転記します。

●2折表2治定
 などて真直(まなほ)に狐花生(お)ふ

●2折表3付け
 舟岡(鳥部野)へ続く径の辺露しげき    夢梯
 弔の列(つらなり)の上に雁わたる
 人住まぬ家に佇めば鶉なく
 陰陽の祓へ効なく(むなしく)身罷りぬ
 生き霊秋の袂に重く乗り
 物の怪に秋さり衣重く垂れ
 物の怪の潜む辻々秋ついり
 秋風に後シテの舞哀しくも

    ◇
 舟岡(鳥部野)へ続く径の辺露しげき    夢梯
秋 露は降物 舟岡と鳥部野(地名)の選択は付け句作者にゆだねます。

 弔の列(つらなり)の上に雁わたる
秋 弔は述懐(哀傷)雁は鳥類(2句物、秋と春、雁渡るで秋) 

 人住まぬ家に佇めば鶉なく
秋 鶉は鳥類 「人すまぬ家」とあっても居所体 人倫 (「木の実降る」の場合、木類)

 陰陽の祓へ効なく(むなしく)身罷りぬ
「陰陽(おんみょう・おんよう)は字音 祓へ(大祓は6月と12月の晦日。夕祓は夏の季語)。この句、あずかります。

 生き霊秋の袂に重く乗り
秋 「生き霊」を生霊(いきすだま)とかえましょう。衣類(袂)

 物の怪に秋さり衣重く垂れ
秋 秋さり衣は衣類 「物の怪」の怪(け)は字音ですが、「もののけ」は過去に使用例が沢山あります。「怪」の字をつかうと目立つので「もののけ」とひらがなに変えておきます。秋去衣は秋の着物です、連歌・俳諧では七夕の牽牛・織女の着衣をさすことが多い。

 物の怪の潜む辻々秋ついり
秋 秋ついり(秋の雨シーズンのことで、降物)

 秋風に後シテの舞哀しくも
秋 秋風(2句物、秋風1、秋の風1) 「シテ」カタカナは連歌で使った例がありません。「仕手」とすると「仕」(し)が字音になります。困りましたね。
   秋風の小つづみはこぶ舞ひ納め
でいかがでしょう。

以下、付句の整理。
      ◇
舟岡(鳥部野)へ続く径の辺露しげき    夢梯
 弔の列(つらなり)の上に雁わたる
 人住まぬ家に佇めば鶉なく
 生霊(いきすだま)秋の袂に重く乗り
 もののけに秋さり衣重く垂れ
 もののけの潜む辻々秋ついり
 秋風の小つづみはこぶ舞ひ納め


by 連歌楽歳 (2018-03-28 19:31) 

如月

宗匠さま 皆さま
お世話になっております。
お花見ウイーク、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。楽しんでくださいませ。

千草さま
過分のお言葉、おそれいります。ポールさまの初めての牡丹餅体験、どうだったでしょうね?
Tres bon!と(それとも、ウミャーウミャーかしら?)喜ばれたに違いない、と思いますよ。
日本の少女に半世紀余もつづく感動を与えたことは、小さな美しい星となって、キラキラと彼の胸を飾っていることでしょう。
by 如月 (2018-03-28 23:03) 

蘭舎

楽歳さま みなさま

花見どき、外出ばかりとなりました。
ことしのソメイヨシノ、そろそろ見納めでしょうか。
残る桜、山の桜・・・まだ、たのしめますね。
お待たせ致しました。


人住まぬ家に佇めば鶉なく  夢梯

をいただき、拙次、こころみましたので
よろしく御願いいたします。

裏の山には鹿の姿も     蘭舎
たそがれ時は風の身に入み
水澄みたれば母のこひしく
葡萄を籠に摘みて帰り来
猿とありなし分かち合ふ日々
野分のあとのひとすじの雲

どれかヒットするものがございますか、提出いたします。


蘭舎 拝

by 蘭舎 (2018-04-02 15:12) 

連歌楽歳

 裏の山には鹿の姿も     蘭舎
秋 獣類(鹿は3句物、只1、鹿子1、すがる1) 山類

 たそがれ時は風の身に入み
秋 身にしむ(この場合いの身は人体か?人倫か?) 「鳩の声身に入わたる岩戸哉 芭蕉」がありますが、オーソドックスに「風の身にしみ」とひらがなで。風は吹物 時分(たそがれ)

 水澄みたれば母のこひしく
秋 「水澄む」は現代俳句の季語 母は人倫

 葡萄を籠に摘みて帰り来
秋 葡萄は俳諧の秋の季語だが『菟玖波集』に「ぶだう」の使用例が1件のみあり。古くは「えびかつらのみ」 「葡」は字音で「ぶ」、字訓で「ぶどう」 「葡萄」となると字音のように見えるので「ぶだう」とかな書きに。葡萄は蔓性の木類で打越の狐花(草類)と表向き障るが、木ではなく果実なので内実は障らないともいえる。

 猿とありなし分かち合ふ日々
???? 御解説願えますか

 野分のあとのひとすじの雲
秋 野分は吹物 聳物 「ひとすぢ」で数字


by 連歌楽歳 (2018-04-02 18:35) 

蘭舎

楽歳さま

早速にご吟味ありがとうございます。

「身に入む」の「入む」は『毛吹草』の連歌四季之詞・初秋に「身入(ミニシム)」とあり、日頃の連句でもそのように書いてきましたが、仰せのとおりに。

「葡萄」→「ぶだう」、「ひとすぢ」のかな表記、ありがとうございます。

「猿とありなし」の「ありなし」は、「ありのみ」のつもりが、なぜか誤って提出してしまいました。
 題材もイメージも俳諧的かもしれませんので、ばっさりとお捨て下さい。

蘭舎拝
by 蘭舎 (2018-04-03 05:00) 

梢風


 猿とありのみ分かち合ふ日々   蘭舎

   付

詠はれぬものにたつきのお骨折り 梢風
文めくる風はらはらとつれづれに   〃
帰りなむおもしろき苞購ひて     〃

栖を持たぬ者同士の侘びしい情感の通い合いを取り合わせてみるのもよろしいのではと「猿とありのみ」を頂きました。蘭舎さまの「題材もイメージも俳諧的かもしれませんので、ばっさりとお捨て下さい。」とありますが、捨てたものの方が美味しく見えてなりません。連歌と言えども居住まいを正してばかりでもなく、少しほっとするようなことも許されるのではないでしょうか。この辺り楽歳さまに教えて頂きたいと思います。
by 梢風 (2018-04-03 16:16) 

連歌楽歳

● ありのみ句について

 猿とありなし分かち合ふ日々  蘭舎

蘭舎さまからボツの連絡をいただいたあと、梢風さまから

 猿とありのみ分かち合ふ日々   蘭舎

のかたちで復活させたいとの希望がありました。

蘭舎さま、復活しますか?

遅まきながら句材分析を致しますと、猿の前句に「鶉」があり、さらにその前に「狐」の文字があります。『連歌新式』では春夏秋冬、神祇・釈教・獣類、述懐、山類、水辺、居所のように句数が決められているもの以外は、たとえば、獣類同士は5句、獣類と鳥類は3句隔てるのが原則で、獣を使った句に獣の付け句を出すのは公式的にはよくないことでした。しかし、獣に獣、鳥に獣を付ける人が増え、『無言抄』のころになると、①人倫2句は苦しからず、3句は続くべからず②植物2句続くべし、3句続くべからず③生類2句よりほかは続かず、となりました。

連歌の式目は、それを守っていれば展開がスムーズになるといったおまじないです。

そういうわけで、「鶉」に猿をつけても式目違反にはなりませんが、打越句、前句、付句に「狐」の字、「鶉」の字、「猿」の字が並ぶとデリカシーの欠けた感じも致します。2折表は第1句が「ねぷた」、第2句が「狐花」と俳諧風に展開し、第3句の「鶉鳴く」で連歌調にもどったところでした。


by 連歌楽歳 (2018-04-03 19:43) 

蘭舎

実のところ、「おどろおどろの陸奥のねぷた」に「狐花」とありまして、その先どういう展開がしっくりとするのか、わからぬまま苦吟しておりました。
「水澄む」も連歌の季詞でないこともうすうす承知していましたが、そのような言葉が、わたくしのイメージとしては好ましい流れに思えておりました。
楽歳さまご指摘のとおり、「狐」に「鶉鳴く」を挟んで「猿」では、連歌的な繊細さが失われるでしょうね。
梢風さまが「栖を持たぬ者同士の侘びしい情感の通い合い」と仰って下さっている情趣は、たぶん俳諧的なものでしょう。
前句との関連だけでみた付合の響きは、私自身好みますが、ここでは、「猿」句を取り下げておきましょう。
前回も「千と一つの夜」で俳諧してしまいましたので、今回は、連歌調におさめておきたくも思います。

ところで「鹿」も獣ですね。鹿はその鳴く声が和歌の世界で詠まれたと聞いておりますが、姿そのものを詠むことがあったかどうか、連歌的な美にかなうかどうか、これまた不明なままの提出です。

まともな句を提出できないままですが、梢風さま、ここはどうぞ、ご再考くださいますように。

もし、一句追加が許されるのであれば、

 木の実を降らす里のたそがれ

を提出させていただきます。

楽歳さま、再々お手数をおかけいたします。どうぞ、よしなに。
あらあらかしこ  蘭舎拝
by 蘭舎 (2018-04-03 21:13) 

梢風

再考致します。

 野分のあとのひとすじの雲      蘭舎

   付

かははらに流れしものを見てゐたり   梢風
槌の音高く響ける日の続く        〃
この頃のおましのみけのいそがはし    〃

こんなところでどうでしょうか。楽歳様よろしくお捌き下さい。
あと、「すじ」は「すぢ」ですね。
 
by 梢風 (2018-04-03 21:35) 

連歌楽歳

 かははらに流れしものを見てゐたり   梢風
雑 かははら=河原=かわら、は辞書の定義によると、水の枯れた川沿いの平地のことなので、流れしものとは、①流れ着いた物体、②あるいはい河原者となった人生の旅路の漂着者(人倫)のどちからかでしょうか。漂着者の場合は打越の「人住まぬ家」と人倫がさわります。したがって、①河原にいて水面を流れるものを見ていた②河原に漂着した物を見ていた、ということになりましょう。河原は水辺体。

 槌の音高く響ける日の続く        
雑 日は日次の日 野分のあとの家屋修復でかすかに秋の季節感

 この頃のおましのみけのいそがはし
雑 おまし(御座)、みけ(御食)神饌・天皇の食事。ところで、「おまし」=貴人の御座所ととれば居所。皇居も居所だが、天皇の御座所(玉座)ととれば、居所とするか否か、判断に迷うところです。

by 連歌楽歳 (2018-04-03 22:30) 

連歌楽歳

●月のこと

羽衣さまから以下のメールをいただきました、転記します。



 只今連歌ブログに送信致しましたが メンテナンス中とのことでメールにて失礼致します。明日一日出かけますので 取り急ぎのご質問までお許しください。 前の折 一三句目 夏月 の後 この折 秋が続いて居りましたが月は出さなくてもよろしいのでしょうか(素秋)? 蘭舎さま辺りで月とばかり思い込んでおりましたもので。何分そそっかしい性分ですので宜しくお導きください。夜分失礼申し上げます。  羽衣拝

    ◇

以下、説明です。

結論として、この部分は連句で嫌う「素秋」でかまいいません。

 雲にけふ花散りはつる嶺こえて  宗長
 きけばいまはの春のかりがね   肖柏
 おぼろげの月かは人もまてしばし 宗祇
 かりねの露の秋のあけぼの    宗長
 すゑ野なる里ははるかに霧たちて 肖柏
 ふきくる風は衣うつこえ     宗祇
 さゆる日も身は袖うすき暮ごとに 宗長
      (水無瀬三吟 2折表 3-9)

連歌では月は7去りの約束なので、「おぼろげの月」に「かりねの露の秋」と付けて春から秋へ季移りしたのは、「素秋」になることに抵抗感が薄かったからと考えられます。

多くの場合、秋が続けばその中で月を出しますが、

 身をだにも思ひ捨てたる世の中に   良基
 秋のうきをばのこす山ざと      永運
 露ならば涙の袖にこころせよ     素阿
 まつもたのみの夜こそながけれ    暁阿
 吹きそよぐ風は稲葉の松の声     救済
 ほに出でぬるはなみの浜荻      素阿
         (文和千句第1 1裏 9-14)

雑の句の後、月なしで秋の句5連続。このような展開も特に異例ということではありませんでした。


by 連歌楽歳 (2018-04-04 10:59) 

羽衣

宗匠さま
「素秋」鎌輪奴 とのご教示 有り難うございました。
宗祇の おぼろげの月かは人もまてしばし  は楽しいですね。
大人の対応と申しましょうか、そんな感じでよい!との思し召し?
後世の者も救われます。ありがとうございました。

梢風さまの
     かははらに流れしものを見てゐたり   頂きます。

        付け
      ちさきおよび(指)のひかれ旅だつ(急かされて発つ)
      ちさきおよびを引きて旅立つ
      やがてさざれ(細)となりて果てなむ
      来し方ばかり徒あはれなる
      ただ朽ちぬるも定めなるらし(む)

  本日見て参りました池の辺 花果の花筏などを思い浮かべつつ
  整っておりませんが よろしくお導き賜りますようお願い申し上げ
  ます。ご丁寧なご教示 かさねがさね御礼申し上げます。
  
by 羽衣 (2018-04-05 01:11) 

羽衣

すみません。訂正致します
   来し方⇒行く末ばかり徒あはれなる
       悲観的ですみません~
by 羽衣 (2018-04-05 01:23) 

連歌楽歳

 ちさきおよび(指)のひかれ旅だつ(急かされて発つ)  羽衣
雑 旅 人体 「ひかれ旅だつ」の穏やかさをとるか、「急かされ」の動きをとるかは、付句作者におまかせ。

 ちさきおよびを引きて旅立つ
雑 旅 人体

 やがてさざれ(細)となりて果てなむ
雑 述懐(哀傷)

 行く末ばかり徒あはれなる
雑 述懐(哀傷)

 ただ朽ちぬるも定めなるらし(む)
雑 述懐(哀傷) 推定の「らし」か推量の「らむ」か、その選択は付け句作者に。

    ◇
宴の後に春の果て見ゆ。これも桜の功徳です。

by 連歌楽歳 (2018-04-05 11:14) 

羽衣

宗匠さま みなさま
早速のご吟味 有り難うございました。
本日 未だ 清明 と申しますのに 早や花果ての様相、
過日 花のあと始末 でご教示賜りましたが 古人をまねびますと
  花ののちまだある春がひと月ある という事でございます。
うれしいような かなしいような 中だるみ感満載のこれからですが
かけ学園も目出度く開校遊ばされました様でございますので
文の乞食と身を下て?又は 身を上て?連歌学習帖頑張りませう!
天候・気温不順の折柄 ご健勝をお祈り申し上げます。


路花さま よろしくお願い申し上げます。


by 羽衣 (2018-04-06 00:35) 

路花

宗匠さま  皆さま
雨が降り出しそうな黒い雲が出ております。昨のは強い風のせいで、いつにもまして花の散り際の潔いことと感じました。
羽衣さまの
ただ朽ちぬるも定めなるらむ 
をいただきます。 「なるらし」ではなく 「なるらむ」 を取らせていただきます。

付句です、
されどわが胸に寄りくる子のありて
朝なぎの空に託せるもののあり
帰り来とたよりありしとそらごとを
野に立ちて憶ふ幼の笑みし頬

相変わらずの拙い句で申し訳ありません。
散る桜を見た後だからでしょうか、羽衣さまの哀傷の句に心惹かれ、離れられないままの作句になってしまいました。どうぞよろしくご指導をお願いいたします。


by 路花 (2018-04-07 17:10) 

連歌楽歳

 されどわが胸に寄りくる子のありて
雑 人倫 人体

 朝なぎの空に託せるもののあり
雑 朝凪、朝風などの朝の字は懐紙をかえて4句物 空は天象(4句物) 

 帰り来とたよりありしとそらごとを
雑 たより(便り)は『連歌新式』では特に言及が無いが『産衣』では2句物(只1、恋1)、参考までに。「そらごと」の「そら」は4句物の「空」とは別枠

 野に立ちて憶ふ幼の笑みし頬
雑 野は地儀 幼は幼子のことで人倫、 頬は人体

        ◇

前句との距離ですが、古典連歌はこの程度の距離感で心地よく付け合いをしています。

  かたぶける日はさるとりの時過ぎて      宗怡
  うつるひかりの影をしめ只            英仲
  老い果てば無きが如くと思ふ身に       宗祇
  有て命の何をまつらん              専順
  ひまもなき心の程はしる袖に          紹永
         (寛正七年心敬等何人百韻)


ただし、連句にこのようなテンポを持ちこめば周りから「とろくさい」といわれること必定でしょうね。ご参考までに。

by 連歌楽歳 (2018-04-07 19:37) 

路花

宗匠さま
早速のご吟味ありがとうございます。前句との距離について、ご提示いただいた百韻の句も興味深く読ませていただきました。
「とろくさい」という厳しいご叱責を受けないように注意いたします。
いつも折角のいい流れを堰き止めてしまい、堰き止めるだけならまだしも、濁った水をあふれさせてしまっているかと反省しきりです。どうぞお許しくださいませ。
by 路花 (2018-04-08 14:57) 

朝姫

楽歳様、皆様

ご無沙汰しておりまして申し訳ありません。
三月は自転車で転んだり、インフルエンザに掛かったり、と踏んだり蹴ったりの一ヶ月でした。

まずは付けを。
路花様の されどわが胸に寄りくる子のありて をいただきました。

 あたたかき手をかき抱きつつ   朝姫
 まなこの映す小さきまことに
 ともにいろはを習ふこの頃

また、拙句「深山へと蝶の誘ふ道ゆかば」についてのご教示、皆様本当にありがとうございました。
毎回問題多くて申し訳ありません。
千草様、ご覧になっているのは0655でしょうか、2355でしょうか。
重箱の隅つつくのすけ、私も大好きです!
千草様のおかげで、楽歳様の「ば留まり」のケースリサーチを興味深く拝読することができました。
歌連歌と連歌歌のお話も面白いですね。
時代によってスタイルが変化しているのがよくわかりました。
如月様、論理で縛らずと仰っていただきありがとうございます。
お言葉に甘えて「道ゆかば」のままでお願いできれば幸いです。

ご指導宜しくお願い申し上げます。

by 朝姫 (2018-04-11 11:24) 

連歌楽歳

 あたたかき手をかき抱きつつ   朝姫
雑 「日のあたたか」は春の季語で、ただ「あたたか」としても春なのですが(『無言抄』)、「あたたかき手」となると雑が無難に思われます。 手は人体

 まなこの映す小さきまことに
雑 眼は人体 

 ともにいろはを習ふこの頃


  ◇

朝姫さま。「道ゆかば」の件、承りました。


by 連歌楽歳 (2018-04-11 20:33) 

千草

朝姫様
御句の「道ゆかば」につきまして
”重箱の隅つつくのすけ”のような提言を
お心ひろやかにお受け止めくださいまして、ありがとうございました。

「0655でしょうか、2355でしょうか。」のお言葉には
まるで暗号の様で、にっこりしてしまいました。
0655の方でございます。
(具体的には月曜から金曜、午前6時55分からの5分間番組0655のことです)

by 千草 (2018-04-12 09:09) 

如月

朝姫さま、
自転車で転んでインフルエンザにもなってーーお辛い三月でしたね。一つでも大変なことですのに、二つもとは! もう大丈夫なのでしょうか。

宗匠さま、皆さま
たいへんお待たせいたしました。
朝姫さまの

まなこの映す小さきまことに

を頂戴させていただきました。
拙次

星屑の地に墜ちてなほ空を恋ひ
みつむれば吾も汝もなく揺蕩へる
酌み交はす盃に雪散り込めば
いづくより舞ひ来たりしか風花の
ろざりよの祈り満ちくる隠れ里
秘められし天つ御姿おろがめば

難しい前句を頂いてしまったようで、つい時間が経ってしまいました。恐縮に存じます。
宗匠さま、ご指導よろしくお願い申し上げます。
by 如月 (2018-04-17 02:14) 

連歌楽歳

 星屑の地に墜ちてなほ空を恋ひ
雑 星は光物 空は天象 「地(ち)」は字音(天地=てんち/あめつち)
◎ご再考ください。

 みつむれば吾も汝もなく揺蕩へる
雑 吾・汝は人倫、打越句に「わが胸」(人倫・人体)が出ています。
◎ご再考ください。

 酌み交はす盃に雪散り込めば
冬 雪は降物 飲食

 いづくより舞ひ来たりしか風花の
冬 風花は降物、俳諧冬の季語

 ろざりよの祈り満ちくる隠れ里
雑 ろざりよ/ロザリヨ/ロザリオはポルトガル語出自で、字音である「念珠」以上に連歌にはなじみうすい言葉。
◎ご再考ください。

 秘められし天つ御姿おろがめば
雑 天象 「天つ御姿」は高天原の神の姿で神祇ともとれ、飛天のことで釈教ともとれ、他の宗教の神のようにもみえる。おろがむ→をろがむ


by 連歌楽歳 (2018-04-17 18:02) 

如月

宗匠さま、

ご指導有難うございました。
打越に戻らないよう注意したつもりでしたが、人倫の句を作ってしまうなど、迂闊なことが多かったことに気づきました。

「星屑の・・」の拙句、地は字音だったのですね。
⇒星屑の井に墜ちてなほ空を恋ひ
⇒(井が水辺で使えないという場合は)
星屑の陸に墜ちつつ空を恋ひ

「吾も汝も・・」の拙句、完全に打越に戻ってしまいました!
⇒前(さき)の世の縁かと思(も)ふ相見ては

「ろざりよ・・」の拙句、ダメとは思いましたが、隠れ切支丹を詠んだ句がひょっとしたらあったかもしれない・・などと、一縷の望みに賭けて冒険をしてしまいました。
結局、大いなる勘違いをしていたようです。
新しい事象を詠むことは、連歌の関心事ではなかったのでしたね。俗なる新しい事象を詠むためにこそ、俳諧の連歌が生まれたのでしたね。
⇒神の御名称(たた)ふる声す隠れ里

以上、つたなきながら、作り直しをしてみました。
あらためまして、ご指導をお願い申し上げます。
by 如月 (2018-04-18 01:24) 

連歌楽歳

 星屑の陸に墜ちつつ空を恋ひ
雑 光物 天象 夜分 

 前(さき)の世の縁かと思(も)ふ相見ては
雑 恋 述懐(懐旧) 世は5句物(只1、浮世・世の中1、恋の世1、前世1、後世1)、なお、「縁(えにし)」は字音の「えん」に母音「i」と強調の「し」がついたものと辞書に説明があります。しかし、山田孝雄『連歌概説』には『連歌諸体秘伝書』という古書に連歌で使える漢字と説明があります。実際、過去の作品中に使用例が多数あります。

ところで、連歌では「世」という言葉をつかうと、その句が一般的に「述懐」とみなされるという習慣がありました。3句前に「ただ朽ちぬるも定めなるらむ」という述懐句(無常・哀傷も述懐のうち)があって障ります(述懐と述懐は5句)。無常・哀傷の句と述懐・懐旧の句ではニュアンスが異なりますが、心のうちのアレコレを吐きだすという意味では似たところがあります。

 ①されどわが胸に寄りくる子のありて
 ②まなこの映す小さきまことに
 ③前世の縁かと思ふ相見ては

①と②の通奏低音はどうやら「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ/ いづくより来りしものそ目交にもとなかかりて安眠しなさぬ」のようで、③はその流れに乗りながらも、一転、「相見ては」で恋の句に仕立てた取り成し付けの技量が鑑賞のしどころになります。棚上げするのはもったいない。

そこで述懐の縛りの強い「世」の字の使用をやめて、

 いづかたの縁かと思(も)ふ相見ては
(雑 恋 縁は難解な仏教用語だが、この場合は俗界の人間のつながりで非釈教)

と、「思い」を前世という時間から、何方という空間に移すことで述懐の感触を薄めてはいかがでしょうか? 

 神の御名称(たた)ふる声す隠れ里
雑 神祇 里は居所体

修正句再録
 星屑の陸に墜ちつつ空を恋ひ
 前の世(いづかた)の縁かと思(も)ふ相見ては
 神の御名称(たた)ふる声す隠れ里


by 連歌楽歳 (2018-04-18 13:23) 

如月

宗匠さま、
ご指導、ご教示、有難うございました。

「世」という語が用いられた場合は、述懐の句になるとのご指摘、確かに以前そのようなコメントを当欄でなさっていらしたということ、かすかに記憶していたように思います。
こんな頼りない記憶で、ほんとうに申し訳ございませんでした。
無常も懐旧・感慨も述懐の部類ということ、述懐は五句去りということと共に、「世」についても、今回は確りと頭に入れること出来ました。

「前の世の」を「いづかたの」とご一直くださって拙句を生かしてくださいましたご温情に、こころより御礼申し上げます。有難うございました。

千草さま、
長らくお待たせしてしまいましたが、お捌き宜しくお願い申し上げます。
by 如月 (2018-04-18 23:00) 

千草

星屑の陸に墜ちつつ空を恋ひ 如月様

こちらを頂戴いたします。

   付け
      ただまつすぐに目指すふるさと   千草
      行きがたしれぬこともありしを
      はるけくしのぶ隼の旅
      はやぶさ山の名のみ残して
      ありかさがして里人の声

ひとつのイメージを追いかけて、五里霧中の付けのため
障りが多すぎましたら出直しますので
どうぞよろしうお願い申しあげます。
by 千草 (2018-04-19 13:56) 

連歌楽歳

 ただまつすぐに目指すふるさと   千草
雑 旅 ふるさと(故郷)は2句物(名所・あるいはただ「故郷」と言って1、旅に1)。打越に「まなこ」があり「目」の字が煩わしいので「めざす」とひらがなにしませんか?

 行きがたしれぬこともありしを
雑 旅

 はるけくしのぶ隼の旅
冬 鳥類(隼は俳諧冬の季語) 旅 

 はやぶさ山の名のみ残して
雑 山類

 ありかさがして里人の声
雑 居所体 人倫

by 連歌楽歳 (2018-04-19 20:34) 

ちぐさ

打越のまなこと障りまして
朝姫様、お許しを。

ご助言のように、仮名書きにして、
それにしても全文ひらかなというのもいかがなものかと 

    ただまつすぐにめざすふる里   千草

 
by ちぐさ (2018-04-19 22:25) 

連歌楽歳

千草さま
了解です。
楽歳
by 連歌楽歳 (2018-04-19 22:42) 

千草

楽歳さま
ありがとうございました。
遊香様
どうぞよろしくお願い申し上げます。
by 千草 (2018-04-20 18:35) 

遊香

千草様の
はるけくしのぶ隼の旅 いただきまして


待つことを知るやまばらに枯れし枝
老ひし木にふはりふはりと積もる雪
名を知らぬ木も凍てつくや白き朝
山守りの足どり残す霜の道

「水無瀬三吟」、入手しましたがまだ読む所までいたっておりませず、いつものごとくの拙作にて、楽歳さま、お手直しよろしくお願いいたします。
今夜から東京を離れますが、スマホ画面で閲覧できます。

by 遊香 (2018-04-22 17:32) 

連歌楽歳

 待つことを知るやまばらに枯れし枝
冬 枯れ枝(木類) 

 老ひし木にふはりふはりと積もる雪
冬 雪は降物 老は2句物(只1、鳥木などに1) 木類

 名を知らぬ木も凍てつくや白き朝
冬 朝(2句物、あさ1、けさ1) 木類

 山守りの足どり残す霜の道
冬 霜は降物 山守りは人倫・山類 足どりは足の字があるので、人体の語と打越を嫌うかも。


by 連歌楽歳 (2018-04-22 20:08) 

連歌楽歳

2折表11に、 悠然と空を舞うはやぶさが見降ろした人間の営為の鳥瞰図、

 山守りの足どり残す霜の道    遊香

をいただき、

●2折表12付け
 杖をたよりにせなを丸めて    楽歳
 薪あたまになに語り行く
 京の出町で黒木売る声
 
      ◇

 杖をたよりにせなを丸めて
雑 せなは人体

 薪あたまになに語り行く
雑 薪は燃料なので非木類 頭は人体

 京の出町で黒木売る声
雑 京は地名というよりは「都」と同じく国郡 出町は地名 黒木は大原女が売る薪

この面、まだ月が出ていません。1裏は短句の夏月でした。ここはトラディショナルな長句の秋月出番でしょうね。ただ、第9句に「星屑」(夜分)が出ていますので、月を第13句で出そうが、14句に回そうが夜分と夜分5句の決まりにさわります。「有明の入る・三日月の出る・夕月・夕月夜・宵の月」など非夜分の月でお願いします。天象(空など)や光物(月・星)のさわりはちょうど3句離れて解けました。

by 連歌楽歳 (2018-04-23 12:57) 

蘭舎

楽歳さま みなさま

いよいよ明日から大型連休。。。となる方もいらっしゃることと思います。
前半はお天気もよさそうで、私はといえば、旅にでることもなく、溜まっている家事のあれこれを片付けるチャンスかなという具合です。

さて、いつものことですが、付けに暇取りまして、申し訳ございません。

非夜分、トラディショナルな秋の月ということですね。
折端に譲らず、ここで詠ませていただきますが、うまくいきますかどうか。


薪あたまになに語り行く

をいただき、

月の舟ほのかに傾ぐ夕まぐれ    蘭舎
夕月にたゞ鎖されし古き門
暁の月の傾ぎて鶏の声
ありあけの月に轍もしらみそめ(響きそめ)
虫の音もほのかにひびく夕月夜


と付けさせていただきました。
楽歳宗匠、お次の夢梯さま、よろしくご吟味、ご一直のほどお願いいたします。

蘭舎 拝


by 蘭舎 (2018-04-27 20:38) 

連歌楽歳

 月の舟ほのかに傾ぐ夕まぐれ    蘭舎
秋 月 光物 時分(夕)

 夕月にたゞ鎖されし古き門
秋 月 光物 時分(夕) 居所体(門)

 暁の月の傾ぎて鶏の声
秋 月 光物 鳥類 「暁」は夜分(『産衣』)とみなしていたようですが、「暁月」は有明月を意味し、それが傾いていることから夜明けがうかがえます。国語辞典によると暁の終わりごろから「曙」が始まるとあり、あけぼのは『連歌新式』で時分。ですが「暁」を「曙」と言い替えるまでもないでしょう。

 ありあけの月に轍もしらみそめ(響きそめ)
秋 月 光物 「有明の月残る」は夜分、「有明の月入る」は時分(昼)、「しらみそめ」で夜明け(時分)

 虫の音もほのかにひびく夕月夜
秋 月(夕月夜で時分) 光物 虫は1句物 第10句の隼と中2句。虫と鳥は3句隔てる約束なので、「虫の音も」を「荻の声」と変えては如何? 荻は草類、風など吹物に2句

by 連歌楽歳 (2018-04-27 23:06) 

連歌楽歳

追伸
うっかりしておりました。

「暁の月の傾ぎて鶏の声」は第10句の隼と障ります。預かりにします。

代案あれば28日中にお願いいたします。
by 連歌楽歳 (2018-04-28 00:26) 

蘭舎

楽歳さま

暁の月の傾ぎて鶏の声

暁、夜分でしたね。曙との違い、勉強になります。
また、隼が近くにいましたね。
この句は取り下げてください。

それから、

虫の音を、荻の声にしていただき、

荻の声はつかにひびく夕月夜

とさせていただきます。
「ほのかに」のままよりも、「はつかに」の方が、
すこしだけ聴覚を刺激しますか・・と愚考してのこと
です。

鳥と虫の縛り、とてもおもしろいですね。

お手数をおかけします。

蘭舎拝
by 蘭舎 (2018-04-28 08:07) 

蘭舎

追伸
あっと、「ほのか」でも「はつか」でもどちらでも
結構です。よろしく御願いいたします。蘭舎拝
by 蘭舎 (2018-04-28 08:10) 

連歌楽歳

 ほとゝきすはつかに鳴て過にけり尽ぬ名残の有明の空
         (静仁法親王、新続古今和歌集)

 ほとゝきすしのふる程は山ひこのこたふる声もほのかにそする
         (賀茂重保、千載和歌集)

岩波古語辞典の説明では、「はつか」は「初」と同根で、「物事の始めの小部分がちらっと現れるさま、瞬間的なさま」。「ほのか」は「光・色・音・様子などが、うっすらとわずかに現れるさま、その背後に大きな、厚い、濃い、確かなものの存在が感じられる場合にいう」。

「はつか」「ほのか」、蘭舎さま仰せの如くどちらでもよさそうな感じです。わざわざ変更するまでもないでしょう。

by 連歌楽歳 (2018-04-28 11:37) 

連歌楽歳

夢梯さまから以下の治定と付けをいただきましたので転記します。

●2折表13治定
 月の舟ほのかに傾ぐ夕まぐれ    蘭舎
●2折表14付け
 寄せては返す秋の浦波 夢梯
 蓮の実の飛ぶ幽かなる音
 荻のささやく野は末枯れて
 かをりを運ぶ葛の裏風
 芙蓉かすかに酔ひを含みて

  ◇
 寄せては返す秋の浦波 夢梯
秋 浦波は水辺体・用

 蓮の実の飛ぶ幽かなる音
秋 「蓮の実飛ぶ」は俳諧で秋(『毛吹草』) 蓮そのものは連歌で水辺体用外・草類

 荻のささやく野は末枯れて
秋 「荻」は3句物(只1、夏・冬に1.焼原に1)草類 荻のささやきは荻の声と同類で、風と2句 野は地儀

 かをりを運ぶ葛の裏風
秋 葛は草類 風は吹物

 芙蓉かすかに酔ひを含みて
秋 芙蓉(ふよう)は字音に成りますので、同じ種類の「木槿」(むくげ)に変えましょう。木類


by 連歌楽歳 (2018-05-07 17:45) 

羽衣

宗匠さま 皆さま
連休後 の思わぬ悪天候と気温低下ですが如何お過ごしで
いらっしゃいますか? トップのお写真は 連休中の風景(うるし科の
若葉?)でしょうか、さわやかです。
扨、折端に
     荻のささやく野は末枯れて  夢梯さま 頂きます。

   折立      付け
        ころも擣つ袖の雫を(露をば)はらひつつ
        色かへぬ松としきかば帰り来む
        袖の露いつきの宮のおん別れ
        秋いそぐこゝろかなしも宮こ人(袖の露)
        つまもまた衣うつ音きくならん  
        君(つま)もまた誰が衣うつ音(ね)に覚むや(寝ねず)

御前句、当方唯一所蔵の 毛吹草 連歌四季の詞 には 
荻(初秋) うら枯(暮秋) とございまして 以前 のご教示により
そんなに気にせずともよろしいかとは存じましたが 末枯(暮秋)の
気分が強く感じられ 暮秋 から探してみました。が、ほとんどが
植物名か 頭に 野 の字のつくもので少々難儀致しました。
植物でも 草 と木 は違うように記憶致して居りましたが 
定かでなく お導きの程 よろしくお願い致します。
(猶 芙蓉の御句 は 酔芙蓉 を詠まれたものかと 勝手に推察
致しました。矢張り 漢詩のイメージですが面白く存じました。)



 
 
by 羽衣 (2018-05-08 15:07) 

連歌楽歳

  ころも擣つ袖の雫を(露をば)はらひつつ
秋 檮衣 袖で衣類 袖の雫、袖の露(降物にこれを嫌わずと『連歌新式』)。選択は付け句作者のお好みのままに。「檮衣」は『毛吹草』で中秋、「ころも檮つ袖の露」は暮秋。そこまで気にすることはないと思います。袖の雫・露=涙、句の雰囲気から恋の句


 色かへぬ松としきかば帰り来む
秋 「色かへぬ松」は『毛吹草』に秋 木類 百人一首「たち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む」をふまえ、色かへぬ松=いつまでも若々しい人、松=待つの掛詞もあって、恋の句として読むことも可能

 袖の露いつきの宮のおん別れ
秋 衣類 斎宮はこの句の場合、伊勢神宮あるいは伊勢神宮や賀茂神社に奉仕する斎宮女の居所 神祇 涙+別れ、で恋

 秋いそぐこゝろかなしも宮こ人(袖の露)
秋 宮こ人は人倫、国郡 「宮こ人」「袖の露」の選択は付け句作者に。袖の露とすれば恋の句の味わい

  つまもまた衣うつ音きくならん
秋 衣うつ音 つまは人倫、男女不明だが、連歌の世界では砧打つのは女でその声を聞くのは男と相場が決まっていた。李白の子夜呉歌を連想させて、夫が遠征から帰る日を待つを待つ妻、恋の句。現代では砧うちは民芸工房あたりでしか見られないが、この場合は男の職人が砧打ちをすることが少なくない。
  
 君(つま)もまた誰が衣うつ音(ね)に覚むや(寝ねず)
秋 衣うつ 衣類 つま・誰で人倫 「誰が衣うつ」は「たがころもうつ」「たれがきぬうつ」の二通りのよみ方が可能。これも恋の句ととってよさそう。「覚む」「寝ねず」が夜分をおもわせ、第9句の星(夜分)と障る可能性があるものの、そこまで細かく踏み込む必要性はなさそう。

      ◇
① カット写真は奥多摩の若葉。撮影した植物にうとい私は何の木か知りません。
② 「荻」と「末枯」の季節のずれの件。『至宝抄』に初秋と晩秋に分けていますが、この使い分けは発句で当季をピンポイントで定める場合の使い分け。発句以外では区分は緩やかでした。

 宮島千句第8(16世紀半ば)に、
  ①ゆふへより夜寒もしるし荻の声
  ②野は末枯に露おつるころ
 ③牡鹿ふすかの岡越えの秋更けて
  ④有明がたのをちの山風

発句と脇で「夜寒」「荻の声」「末枯」が入り乱れています。夜寒は『毛吹草』で暮秋。
③酔芙蓉は同じ花が朝昼夕で色を変えるそうですが、木槿は白からピンク、濃い赤まで個体によって花の色のグラデーションが多彩です。 


by 連歌楽歳 (2018-05-08 22:03) 

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